今年の十大ニュースを書いていて番外となったニュースのひとつに弊社「日本パン・菓子新聞」8月1日号で取り上げた「パンの輸入が増加中」がある。《数量、金額ともに過去最高、近畿圏で高い伸び》との見出しが目についた。輸入パンの定義は税関によると、副資材を使用せずに最も基本的な粉や水、発酵種などを使用したシンプルでリーンなパンのことを言うそうだ。同区分には、フランスパン、ベーグル、ピザ生地などが主に該当し、19種類に大分類された「パン、乾パンその他これらに類するベーカリー製品」(砂糖、蜂蜜、卵、脂肪、チーズ又は果実を加えたものを除く)に適用され、基本的な税率は12%。条約加盟国からの輸入の場合は9%。一定条件を満たす発展途上国からの輸入は「特恵」の税率が適用されて無税となる。
近畿二府四県の2003年のパン輸入量は前年比34%増の1,766トン、金額は同34.7%増の4億1,000万円と全国平均を大きく上回った。この数字の秘密は実は韓国からの「冷凍パン」の輸入の多くを占めるのがピザ生地で、近畿圏に大規模なピザ加工工場があることが真相なのだ。これは近畿地方が製造と物流の拠点であることを指摘している。
ともあれ輸入パンの増加はピザ生地で一件落着なのだが、さて、消費者はすべての輸入パンに対して「安心・安全」を感じることができているだろうか。いま中国からの冷凍生地など、一般消費者は気付かないところでたくさんの輸入パンを食べている。気付かず食べていたそれが輸入パンだと知ったとき、消費者にどれだけの安心を与えられるか。輸入パンの提供者の課題でもある。
私が思うに、パンで時代を超えてなおかつその魅力が色あせずにロングセラーとなって、今なお消費者に愛されている菓子パンと言えば「あんパン」が横綱であろう。惣菜パン部門では「カレーパン」「コロッケパン」が東西の大関を張っている。
最近、すり足で押し出し連勝中のひと癖もふた癖もある、しかもパワフルな味のある関脇級のパンはバゲットとライブレッドだろう。本場フランス、ドイツより100%輸入された専用粉が筆頭ではあるが、国産粉も最近“押し出し”が出来る程体力がついてきたようだ。そのままちぎって食べても噛めば噛むほど粉の美味しさを感じるシンプルなテイストは、飽食の現代にあってどんな料理にも合う。しかし、なんと言っても今のところ東正横綱は「食パン」であろう。特に最近各社の食パンは群を抜いて美味しい。国技館の大相撲では一人横綱のモンゴル出身の朝青龍関が一人群を抜いて頑張っているが、我らの“食パン”も食卓の横綱として今後も張り切ってもらいたいものだ。
今最も人気のある“力士”は、華やかでエレガントな洋菓子感覚のパン。小柄ながらそのスウィートな小技に世の女性を惹きつける。
私は思う。以上のことから出てくる三つのキーワード。
①時代を超えた魅力が色あせない商品
②ひと癖もふた癖もあるパワフルな味わい
③華やかでエレガント
今年も残すところあと1ヶ月余り。2005年はこの三つのキーワードで全勝優勝を勝ち取ってもらいたい。
10月23日に発生した新潟中越地震では震度7の川口町、震度六強の小千谷市など周辺の町村は道路がズタズタに寸断され、今もなお孤立している村は多い。その被害状況をテレビで見るにつけ、自然の脅威をまざまざと感じる。被災者の皆様が一日も早く元の生活に戻れますようお祈り申し上げます。
地震といえば津波も怖い。和歌山では先の台風22号、23号でこれまた海岸線の道路が寸断され、2トンのテトラポッドが道路に打ち上げられている状況は、想像を絶するありさまである。
あるベーカリーのオーナーは、阪神淡路大震災の時は何も出来ず100万円の義援金を贈るにとどまったが、もし自分達の地域に地震が起きたら自分達でできることをしなくてはならないと、台風や津波対策(食糧の救援活動)のシュミレーションを描いている。「私の町は、人口8000人で海沿いに住む人は約 2000人、まず海沿いの人たちの食糧確保が先決だ。目安は一週間分のパン。90g程のコッペパンを6万本焼くには、100袋の小麦粉とそれに見合った砂糖、油脂、イーストを常時在庫としてストックしておかなければならない。もちろんオーブンで焼くから自家発電機も必要。ホイロも照明もこれがなければ動かない」。
先日このベーカリーでは、本社内に災害対策チームを発足させた。「オラの村はオラ達の手で」地元の災害時の食糧や物資は地元で調達できればこれほど心強い事はない。道路が寸断されたら、救援物資が届かないなど生命線が脅かされる。このような取組みが全国の市町村の加工食品メーカーに広まれば素晴らしいと思う。
全大阪パン協同組合(墫栄蔵理事長)創立50周年、大阪府学校給食パン・米飯工場協会(呉松正一郎会長)創立五十五周年の記念式典が30日大阪城近くのホテルニューオータニにて盛大に挙行された。
そもそも大阪にパンが伝えられたのは明治7年頃とされ、今に語り伝えられている店としては梅月堂(梅田)、指月堂(天満)の2店があったとされるが、本格的製パン企業が生まれたのは明治20年以降といわれる。この時代になると堺に梅月堂、大淀区に富屋製パン(富島氏)、浪速区に富屋製パン(中村氏)、西区にマルキ号(水谷政治郎氏、後のマルキイーストの考案者)が開業。大正時代に入って神戸屋、木村屋(森利蔵氏)、大畠製パン、松岡製パン、木村屋(徳南安太郎氏)、見通製パン、神崎屋、キリン軒などの製パン企業が開業した(弊社発行・パン戦国時代より)。
ちなみに全大阪パン協同組合の前身ともいえる「大日本製パン工業会」が昭和5年7月に全国より200社の業者、団体を集めて発足している。初代会長は水谷政治郎氏(マルキ号)であった。その主な事業は関東大震災の時パンが大いに役立ったことから、9月1日を“パンデー”としてパン食の普及に乗り出し、災害に備えてパン食の習慣を普及させようとスローガンを掲げ、これを全国各支部を挙げて大々的に宣伝したことである。
阪神淡路大震災、新潟中越大震災では、製パン業界あげての迅速な救援活動により、多くの被災者にパンが配られた。おそらく多くの先人達はこの救援活動を天より“良し”として見ているであろう。
現在は製パン通信講座をはじめ、各種講習会を数多く開催して組合員のレベルアップを計るなど、全パン連傘下組合のリーダー格として活躍している。墫理事長の次の50年の第一歩に全国の関連業界の注目が集まっている。