とにかく私の母は外食が好きだった。特に新宿のデパートの食堂に行くのが好きで、買い物の後で必ず各デパートで食べるものが決まっていた。京王百貨店の食堂ではカキフライ定食、小田急百貨店ではカレーうどん、伊勢丹では五目焼きそば・・・。一番美味しいものを見極め必ず毎度同じものを食べることにこだわっていた。今は閉店したが、新宿三越の地下大食堂ではマカロニグラタンだった。
そんな母が私が仕事から帰ってくると三斤棒の食パンを半分にして、中学生の私の娘と二人で食べながらテレビを見ていた。三斤棒の食パンはあっという間に無くなってしまった。娘が「おじいちゃんが持ってきてくれたの」と満足した顔で言った。後から聞いた話では、その食パンはオリエンタル酵母の研究室で焼いた極上の食パンで、手間隙と原材料費を入れると一万円を超えるかもしれない(当時の親父談)と言うのはさすがに大げさかも知れないが、後日私も父に頼んで手に入れ食べてみた。あまりの美味しさにカルチャーショックを受け、あっという間に三斤食べつくしてしまったことが昨日のことのようだ。
当時中学生だった娘も今は一児の母となり、その孫も早くもパンにこだわりを見せている。あの極上の食パンは今では珍しいものではなくなった。ホールセーラーに提案する原材料メーカーの努力が今花開いたようだ。
どこまでも続く群青の空、まだ4月18日だというのにチリチリと肌をさす太陽。南イタリアのナポリは上機嫌に私を迎えてくれた。
ここは学生時代からのあこがれの地であった。ソフィアローレンがスクーターのテレビCMで「あらオリーブをわすれちゃった」と言って、さっそうと紺碧の空の下をスクーターで海岸線を下って行く光景が思い出される。35年という時が過ぎての訪問となるが、思った通りの素晴らしい街だ。路面電車を追い越すタクシー、僅かな間隔に割り込んでくるフィアット、バイクはブレーキング無しに突っ込んで走り去る。あちこちで鳴るクラクションの喧騒に救急車の警告音もかき消され、道をあける車もない。レンタカーをキャンセルして良かったとタクシーの中でほっとした。二千年近く前に突然灰に埋もれたポンペイの遺跡に、ナポリの歴史を見た。人々が最後の瞬間まで生活していた遺跡が、18世紀に掘り起こされた。その石畳をブラブラと歩く。一直線に続く商店街の遺跡には、酒屋あり、市場、住居、神殿、ライオンと格闘したという闘技場など古代の建造物を見て当時に想いをはせる。眼の前に迫るヴェスビオ山の突然の噴火、猛スピードで押し寄せる土石流と溶岩流、降りそそぐ噴煙と火山灰、阿鼻叫喚の世界だったろう。神は何に怒ったのか。
そんな想いを胸に秘め本場のナポリピッツァを食べた。昼しか営業していないエウロペオ・マットッツィというイタリア料理レストランで出てきたオードブルに驚かされた。イタリアントマト、本場のモッツァレラチーズ、タコのオリーブオイルがけ、どれをとってもこれらの食材は日本では食べられない。ピッツァ・マルガリータは上品にフォークとナイフで切り分けていただく。小さく切ってクルッとフォークで突き刺し口に運ぶ。チーズやトマトの味よりも、石窯で焼かれたモチモチとした皮のおこげの食感が何よりも美味しさを引き立ててくれた。〝ナポリを見てから死ね〟も納得だが、それ以上にナポリの食は言葉にならないほど素晴らしい。
4月1日の入社式には、まだつぼみだった東京の桜は先週の好天に恵まれて一気に満開となり、各地の学校の入学式に華を添えた。
桜の名所の靖国神社界隈では連日武道館でマンモス大学の入学式が開催され、花見客と重なるため、この時期は混雑を極め、車での通勤は時間が読めない。しかし靖国通りでの信号待ちにサンルーフを全開にしてひらひら舞い落ちる花びらを車内に誘い込みながらのしばしの車上花見もおつなものだ。残念ながら昨日の雨で大半は散ったが、今度は葉桜を楽しませてくれる。
つぼみの時はピンクに萌えいでいじらしく、満開に咲き誇れば優雅に、そして散り際は潔くも可憐に、葉桜となれば名句「目に青葉、山ほととぎす、初鰹」とあるように、初夏の訪れとともに食欲をかき立ててくれる。こんな桜を私は千両役者だと思う。しかし地球の環境が悪化するにつれ、桜も変化に対応しようと自助努力をしているらしい。私達も桜のこの美しさを保つためにも最大限の努力をしたいものだ。
来週の14日から9日間パリとナポリへ行くことになった。パリでは「ユーロパン2005」の見学とブーランジェリー巡り、サンドウィッチ用の目新しい食材探しと星付きレストランでの食事も楽しみだ。イタリアには何度も行っているが、ナポリにはなかなか辿りつけず、初めての訪問となる。
なかなか辿りつけなかったと言えばインドのカシミールを思い出す。学生時代から行きたくてたまらなかった。特に神秘の湖〝ダル湖〟は「呼ばれた者しか訪れられない」と言う噂通り、当時も簡単に行ける場所ではなかった。しかし、三島由紀夫の絶筆となった「豊饒の海」を読み、ダル湖で6ヶ月過ごしたビートルズが帰国後、長髪になり、ガムランを取り入れた斬新な曲を世に送り出したことに驚愕し、私はいてもたってもいられなくなり、バックパッカーとして15年前に一ヶ月過ごした事がある。ヒッチハイクで2日間、チベットに程近い天空の町ラダックに辿り着いた時の爽快感は行った者にしか理解できないだろう。ダル湖のボートホテルで波一つ無い湖面を一日中じっと見つめ、鳥のさえずりさえない無の境地で三島由紀夫は何を悟って「豊饒の海」を書き上げ、市ヶ谷の駐屯地で割腹自殺を図ったのだろうか。
今回訪れるナポリは私達に何を教えてくれるだろうか。「ナポリを見てから死ね」と言われる所以は何だろうか。イタリア料理発祥の地と言われるナポリで私達一行には何が閃くのか、今から楽しみだ。