中川昭一農水大臣(当時)現・政調会長に同行してのキバキ大統領以下ケニア要人との会見内容はすでに記事として掲載してあるので、大臣一行が帰国してからのプライベート旅行について報告したい。 9月5日、12時より分刻みのスケジュールをこなしてこの日は最後の公式レセプション。ケニアに滞在する各国大使を迎えての日本大使館主催のワールドミーティングランチレセプションを精力的にこなして、大臣一行は帰国した。私はというと、在日ケニア大使のアオリ氏とホッと互いに胸を撫で下ろしながら、この激動の5日間の労苦を握手と抱擁で称え合い、早速二人でナイロビ市内の 120年の伝統を誇るゴルフクラブで日没まで15ホールのプレイを楽しんだ。アオリ大使はこの後お子さんが留学しているロンドンへ向かい、私は三菱商事ナイロビ支店の長嶋支店長と共にマサイ族の民族ダンスを見ながら、キリン・ヌー・シマウマ・ウサギ・イノシシ・ワニなどのB・B・Qを楽しんだのだが、今ひとつ味が理解できず、シマウマのようにスラリとした容姿のプッチリ、スベスベしたヒップのマサイのダンサーに目が釘付けとなった。この4日後私は思いもよらぬ事態に遭遇。長嶋支店長夫妻にひとかたならぬお世話を受けることになるとは夢にも思わなかったのである(詳細は次号で)。 いよいよ明日は「マサイ・マラ」へ向けて旅立つ。ヌーの百万頭の河渡り、チーター、ライオンに会いに行く。サファリは私の長年の夢だ。次号ではサファリの体験をお伝えしたい。
ナイロビ国際空港と比べると本当に小さな国内線のウィルソン空港の検問は、国際線と変わらぬ程厳重で、機関銃を手にした太目の女性ポリスが乗客に目を光らせていた。マサイマラ行きの搭乗ゲートはキリマンジャロ行きのゲートの隣で、大きなリュックを背負った世界中のバックパッカーでごった返している。キリマンジャロ山頂で本場のキリマンジャロコーヒーも飲んでみたいが、これは次回のお楽しみということで、ゲートから30人乗りのプロペラ機まで歩いて乗り込んだ。20分程のフライトで大草原に着陸してエンジンを止めることもなく5人程の乗り降りがあり、すぐに離陸して10分程で、窓越しに着陸風景を眺めていると、滑走路の手前急上昇したのは動物の一団が滑走路を横切ったからだ。再度土ぼこりを上げながら無事着陸。ついに私は大草原のサバンナに降り立った。赤道直下の標高千八百メートル、雲ひとつ無い空、チリチリと照りつける太陽、しかしさほど暑さは感じられない。迎えに来ていたサファリ用のランドローバーは窓も屋根も無く、サバンナの砂利道を土ぼこりを上げ、かなり激しく揺れながら突き進む。目指すは「ムパタ・ロッジ」。行程30分程の山道の脇のあちこちでシマウマの群れやヌー、イボイノシシの親子連れが出迎えてくれた。到着後すぐにロッジから出発する夕方のゲーム・ドライブに期待が膨らむ。
しかしまてよ・・・、ここは標高千八百メートル、昨年訪れたメキシコシティの標高とさほど変わらない。あの時はタラップを降りた途端に息切れがひどく、世界遺産のティオテワカンのピラミッドにも登れず、フォーシーズンホテルで2日間ハーハー言いながら寝ていたのが嘘のように今回は気分が良い。それはマサイマラの高台に建つムパタコテージの景色が素晴らしく、心を和ませてくれているからだろうか。眼下に見下ろす果てしない大草原のサバンナの地平線。目を閉じると赤道直下の陽射しを浴びながらも、草原の風が心地良い。以下次号
三菱商事ナイロビ支店の長嶋支店長が、マサイマラへの出発前に届けてくれた二個のおにぎりをゆっくり味わいながら、いざゲームドライブへ出発だ。ロッジを出てすぐにキリンと象の家族に遭遇した。キリンは木の上の若芽を食み、象は草を鼻で上手にちぎっては口に運ぶ。ゆったりと夕暮れのサバンナの時は流れる。草を食んでいるヌーの群れの中の一頭と目が合った。角があって、顎の下に長い髭が生えている。口をモゴモゴしながらじーっと私を見つめている。距離5m、シャッターチャンスだ。大自然のサバンナに暮らすここの野生動物たちはジープや人間に慣れているのか、何故か逃げようとしない。ジープが動けば道を空けるという塩梅なのだ。ドライバーがヌーの死肉に群がっている十数羽のハゲワシを指差して説明する。「このヌーは今朝ライオンがハンティングした朝食の残りだよ」。その向こうにお腹がパンパンに膨れたハイエナが食後の毛づくろいをしながら、まったりとしている。アッと言う間に二時間のゲームドライブも終了してロッジへ帰還。
何が出てくるか分からない〝ヤミナベ〟みたいな気持で夕食のためダイニングルームへ一人で行くと、なんとお洒落な! 各テーブルにはキャンドルが灯り、ドレスアップしたカップルがワイングラスを片手に談笑しているではないか。しかも野郎一人は私だけ。漆黒の闇が窓の向こうに広がっている。そのウィンドウには淋しくゆらめくロウソクの灯と私の顔が交錯する。オーマイゴッド!夕食はロッジ特製のロールパン(ボソボソしていて非常にまずい)とビシソワーズと茹で野菜(洗浄用の水が無いので生野菜は出さない)のポワレ。メインは〝ビーフ〟と説明されたが、スライスされた肉がマスタードソースで和えられていて、何の肉だか分からないのでグラスワインで飲み込んで早々に部屋へ。いよいよ明日は数万頭からなるヌーの川渡りだ。
朝6時、あたりはまだ漆黒の闇だ。虫の鳴声も聞こえない静寂の中、懐中電灯の灯が揺れながら私を照らし出す。黒人のドライバーが顎をしゃくる、出発だ。マイサイマラの朝晩はかなり冷え込む。薄手のヤッケと帽子と双眼鏡、もちろんカメラは必需品。暗闇のサバンナを旧型のオープンなランドクルーザーが、ガタガタと山を降りて行く。サファリパーク入口のゲートには5台ほどのサファリカーが集結して日の出を待っていた。はるか地平線の山が明るくオレンジ色に染まってきた。大きな太陽の頭が見えてきたと思ったら、あたりの草原が青く光り輝き、野生動物のうごめきが肌で感じられる。ドライバーのサムが「まずはライオンだ」と言いながら5・0の視力で先を見ながら荒っぽく車を飛ばす。それぞれの車は情報収集のため四方に散らばっていった。後で無線で連絡し合い、ベストポイントを教え合う。草むらに静かに分け入り、車を止めた。サムが右下の草むらを指差す方を見るとライオンの親子が横たわっていた。左側にいた私は立ち上がってシャッターを押して席に座り、ドアに肘をかけて何気なく下を見ていると、なんと雄のライオンが真下から私を見上げている。しかも車のタイヤはあと数㎝でライオンの尻尾を踏むほど肉迫している。おそるおそるシャッターを切って、サムに目で合図する。サムは大袈裟に両手を挙げ、オーマイゴッドといわんばかりにそっと車を前進させた。無線が入り、スワヒリ語でまくしたてるサムは猛スピードでサバンナの道なき道を右に左に車を飛ばす。幅百m位の川の向い岸にヌーの大群が列をなしていた。群れにはシマウマも混ざっての川渡りの準備だ。水中には巨大なワニがヌーたちの川渡りを待っている姿が見られる。2頭、3頭、ジーッと群れを見ていて微動だにしない。ジリジリ、オズオズと川べりに向うヌーの群れ。川の水を飲んでは後退を繰り返し、渡る気配が無い。30分、40分、その後方には何㎞続くのか、わんさかとヌーとシマウマが延々と川を目指してゆっくり行進している。と、その時一頭のヌーがジャンプしながら、川の浅瀬を渡っていった。
一頭が川渡りを始めると、次々とヌーが川にジャンプしてワニの待つ浅瀬を駆け抜ける。なぜ危険を冒してまで川を渡るのだろうか。サムに質問すると、顔の黒さから比較すると異様に光る白い歯を出しながら笑って答える。「新鮮な草を求めて移動するのさ」。10分も経つと最初は一列の川渡りが五列、六列と後続の大群に押し出されるように、深場にも飛び込んで溺れるヌーもいる。その時一頭のヌーが水中に引き込まれるのを私達は目撃した。オー! 双眼鏡を手にしたドイツ人の若い女性の悲鳴とも聞こえる絶叫がサバンナに響き渡る。ヌーを咥えた巨大ワニは体をよじり、水中にヌーを引きずり込む。ワニの尾が何度か大きなしぶきをあげながら回転する。壮絶な大自然の摂理を目の当たりした参加者は、ただ、ただシャッターを押すしか為すすべが無い。
こんな壮大な自然のドラマも一つのシーンだけ30分も見ていると飽きてしまうのは私だけではなさそうだ。サムは車をUターンさせ、双眼鏡を覗き込む。「いたぞ!」今度はゆっくりと慎重に車をすべらす。広大なサバンナの一画にそこだけ長く伸びる草むらに近づいて行くと、風にゆられて草の隙間から美しいチーターの勇姿が現れた。行儀良く座って、遠くを見ている。その周りには2頭の子供と母親がいる。雄は獲物を探しているのだ。アッと言う間に5台のサファリカーが集結して全員がシャッターを押しまくっている。このサファリパークでもチーターの家族にめぐり合うのは珍しいらしい。それにしても暑い。車を止めていると、太陽が服を通して全身が焼け付くようだ。車を川べりの木陰に移動して、気持良さそうに水浴びをしているカバのファミリーを見ながらムパタロッジで用意してくれたランチをいただく。この弁当が私の今回の旅の運命を左右するとは。
ヌーの大群の川渡り、チーターとライオンのファミリーというサファリの三大ポイントをカメラに取り込んで満足した私はムパタロッジに戻った。やけに疲れたので昼寝をしたのだが、陽が落ちるまで爆睡してしまった。便意をもよおしてトイレに行くと、シャワーのような、洪水のような、まことに汚い話しだが、超弩級の下痢に見舞われた。夕食に来ない私を気遣ってムパタの従業員が部屋に様子を見に来てくれた。事情を説明するとドクターを伴っての検診。体温38・5度、下剤と熱冷ましを飲んで今夜はひとまず寝て、明日様子を見よう、ということだったが、次の日も一日中酷い下痢と発熱に悩ませられた。
3日目の朝、なんとか飛行機に乗り込みナイロビへ到着。早速ナイロビ国立病院へ直行した。インド人の医師いわく「即刻入院しなさい」。1リットルの点滴を6本注入するという。脱水症状も併発していたのだ。身長175㎝位の黒い縁どりの大きなメガネをしたケニア人のナースは超ミニスカートの白衣で私のベッドに腰掛け、体温を計る。食欲も無く、気だるい体にこのセクシーダイナマイトナースがせめてもの慰めだ。私の入院を聞きつけ、三菱商事ナイロビ支店の長嶋支店長夫人がおにぎりとお茶を持って駆けつけてくれた。しかし食べられない。明日は在ケニアの宮内日本大使とゴルフをした後、フランス料理を食べに行く約束をしているのに。夕刻、見舞いに来てくれた長嶋支店長に代理出席を頼んで、この日はゆっくり休んだ。2日入院して帰国する日の朝、長嶋支店長が来てくれて、退院手続きを代行してくれ、ナイロビ市内のお宅へ連れていってくれた。キッチンには日本食が用意されている。梅干、シャケ、みそ汁、そして貴重な貴重な炊き立ての日本米を全部おいしくきれいにいただいた。生涯の内で五指に入るベストランチに感動と感謝。無事エミレーツ航空に乗込み、ドバイ経由で帰国できた。長嶋さん本当にありがとう。