鉄火場育ち
メンコにベーゴマ。今では、ほとんど見られなくなりました。牛乳ビンの丸い紙フタは手の平を丸めて、"ポン"と叩いて裏返したら勝ちです。戦後生まれの団塊の世代は"鉄火場"で育ちました。私の宝物は「別所のベーゴマ」でした。当時はプロ野球やプロレスの名選手の名前が刻まれていたのです。ヤスリを当てて低く鋭利に尖らせて、弾き飛ばしたベーゴマは数知れずの連戦連勝でした。戦利品のベーゴマもメンコも丸ブタも、何故か当時は、空になった缶詰にそれらを詰めて油紙でフタをして厳重に紐で巻いて縁の下の土の中に埋めてしまっていたのを、どうして今頃想い出したのでしょうか?
目がしみるほどに美しい夕焼けを見たからでしょうか。新宿のオフィスから杉並の自宅へ帰る途中に通る家内が好きな阿佐ヶ谷のケヤキ並木の枯葉が木枯らしに舞って厳しい冬の訪れを身体に教えてくれます。
森繁久彌さんが亡くなりました。私は森繁さんの「知床旅情」が大好きです。出だしの「知床の岬に、はまなすが咲く頃、思い出しておくれ、俺達のことを…」
冬が訪れる頃、ちょっとセンチになって何故か口ずさんでしまうこの一節。そうなのです。だから想い出すのです。幼少の頃の事。父母の事を。季節の変わり目におセンチになるのは私だけでは無いはずです。あのベーゴマもメンコも、もう掘り起こせませんね。でも真っ赤に染まった美しい夕焼けは今もそこにある。森繁さんはそう語っているのです。
ご冥福をお祈りします。
目がしみるほどに美しい夕焼けを見たからでしょうか。新宿のオフィスから杉並の自宅へ帰る途中に通る家内が好きな阿佐ヶ谷のケヤキ並木の枯葉が木枯らしに舞って厳しい冬の訪れを身体に教えてくれます。
森繁久彌さんが亡くなりました。私は森繁さんの「知床旅情」が大好きです。出だしの「知床の岬に、はまなすが咲く頃、思い出しておくれ、俺達のことを…」
冬が訪れる頃、ちょっとセンチになって何故か口ずさんでしまうこの一節。そうなのです。だから想い出すのです。幼少の頃の事。父母の事を。季節の変わり目におセンチになるのは私だけでは無いはずです。あのベーゴマもメンコも、もう掘り起こせませんね。でも真っ赤に染まった美しい夕焼けは今もそこにある。森繁さんはそう語っているのです。
ご冥福をお祈りします。