新吾二十番勝負
「立ち食い・立ち飲み」なんと響きのよい言葉でしょうか。ついつい、このような店があると縄のれん越しに中をうかがってから、危なそうな店でないことを確認後、引き戸を開け店内へ入ります。夕方の5時、まだ陽も落ちていないJRは神田駅西口の小さな飲食店が並ぶ“キタナトラン”の立ち飲み屋。「いらっしゃい」と店主。他に客はいない。目が合った一瞬で、店主の性格をあぐねつつカウンターに肘を乗せてメニューを一瞥する。そしておもむろに「菊正、常温でね」。このハッタリとも思えるオーダーに「一合ですか、二合ですか」と来たもんだ。酒の常温だとコップ酒だろうと思い込んでいた私が馬鹿だった。「じゃあ二合で」。大徳利に常温の菊正が二合、並々入って小さな平猪口と来たもんだ。ここは私の完敗です。いい店だねー、一瞬で私の性格を見抜かれてしまった。「かっこつけんじゃネーヨ」てなもんですね。実はコップ酒を一気に飲んで「勘定」って具合に遊び心で入った店なんです。ニコッと笑って欠けた小皿にウルメイワシが3匹、「おいしいよ」と店主。60年代のド演歌のBGМを聴きながら、ひとり、猪口に酒を注ぐ。いやあ、うれしいねー、楽しいねー。グビッと飲って、イワシをくわえたら、一冊の本を思い出しました。司馬遼太郎の「国盗り物語」。この中で確か織田信長が戦から城に戻り、甲冑を付けたまま板の間に立ち尽くして「誰か湯漬けを持て」というシーンがありました。そして立ったままサラサラッとかっ込む。私はたまらずその本を閉じて台所に走り、湯を沸かして冷や飯を茶碗に盛り、台所に立って湯漬けをすすりました。40年以上も前の話です。立って食らう。こんな斬新な食べ方に感動した私は、今だに湯漬けは立って食べます。この本を読んでから私の時代劇好きが始まりました。日本酒は徳利から三々九度のような赤い平猪口に注いで飲る。ひょうたんに詰めた酒は紐を指に絡ませ、肩越しにグイグイと飲る。
この店の親父は時代劇が好きなようだな。「親父さん、一杯行きましょう」と私は徳利をカウンター越しに差し出して酒を勧めた。ゆったり5人、詰めて8人、そんな店で親父と語る。「この無垢な徳利、時代を感じさせていいねー」「普段は枡に入れたグラスに注いで飲ませるんだけど」「正解ですよ、大将!」。それから2時間、時代劇「新吾二十番勝負」を肴に「橋蔵は良かったね」などと、意気投合して徳利も7本を空け、やっと後から入って来た客に親父を譲ってすっかりとネオンに染まった町から後ろ髪を引かれる思いでホロホロと帰宅しました。
次号に続く。
この店の親父は時代劇が好きなようだな。「親父さん、一杯行きましょう」と私は徳利をカウンター越しに差し出して酒を勧めた。ゆったり5人、詰めて8人、そんな店で親父と語る。「この無垢な徳利、時代を感じさせていいねー」「普段は枡に入れたグラスに注いで飲ませるんだけど」「正解ですよ、大将!」。それから2時間、時代劇「新吾二十番勝負」を肴に「橋蔵は良かったね」などと、意気投合して徳利も7本を空け、やっと後から入って来た客に親父を譲ってすっかりとネオンに染まった町から後ろ髪を引かれる思いでホロホロと帰宅しました。
次号に続く。