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コラム 三寒四温

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親子3代

「今、父を荼毘に付してきました」。15日の夕方、長男の木村周一郎君から電話がかかってきました。木村屋總本店の元社長、木村周正さんが肺炎のため12日、お亡くなりになりました。享年70歳。「眠るように静かな最期でした」と喪主となる周一郎くんの声は重く、会話には長い沈黙が流れた。
 15年前のある日、周正さんから電話がかかってきました。
「こうちゃん(私の愛称)、中川昭一君が農水大臣になったので、インタビューをしてきなさい。大臣に推した平沼先生の秘書から連絡が行くからな。男を上げるチャンスだぞ」そして前代未聞の、業界紙による大臣室での単独インタビューが実現したのです。その後も「こうちゃん、銀座の田むらが初競りで落とした祝儀のマグロ、一緒に食いに行こうぜ」と正月早々にお供した思い出。銀座の一流クラブを梯子する道すがら、ショーウィンドーのガラスに映る2人の腹、格好を見るや「オイ、やばいぞ。そろそろダイエットでも始めるか」と大笑いした事。趣味のゴルフと海釣りにもよくお供をさせて頂きました。そこで麻生太郎元総理や榮太樓總本鋪の細田眞社長など政財界のそうそうたる重鎮をご紹介していただき、可愛がっていただいた想い出は、一生忘れる事はありません。
 「こうちゃん、周一郎を頼むぞ」。千代田生命を退職した周一郎君と初めて出会ったのが、築地の本社社長室。確か12~13年くらい前の1月の寒い日だったのを覚えています。今では「メゾン・カイザー」と言えば超有名人気店ですが、私の見る限り並大抵ではない努力と苦労をされたのを私は知っています。実家の助けも乞わずわずか10年余りで海外を含め20数店舗を有するブーランジェとして、マスコミにも引っぱりだこの若手実業家となりました。周一郎君がパン屋を始めるにあたって、まずは周正さんも卒業した米国AIBを主席で卒業しましたが、当時は世界で初めて親子3代の卒業生として話題になったものです。 
 ここ数年は、脳梗塞を患ったことを聞き及び、連絡をするのは遠慮していました。私の父の72歳でも早いと思っていたのに、まさか70歳の若さで逝かれるとは…悔やまれてなりません。周一郎君が最後に言いました。「親父が愛した神楽坂の『牧』で皆で大いに飲みましょう。飲んで騒いで親父の供養をしましょう」。そうしましょう。合掌。

弊社社長 菅田耕司のコラム


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