中学生になってから始まった英語の授業は嫌でした。なぜかって?淡々と教本を読むだけ。そして毎回のテスト。定年間近の男性教員は冗談どころか″ニコリ〟ともしない文法重視の堅物先生で教壇より前に出てくることもないし、目線を生徒に向けることもないので″早弁〟のチャンスの授業でありました。その先生が家で何かいいことがあったのでしょうか、″クスッ〟と、口に手を当てて白墨を手に取り、黒板に何やら書き始めました。″ほったいも、いじるな〟。「さあ、皆さんで大きな声を出して言ってみましょう」「ほったいも、いじるな!」「これは音韻連想と言って他の言葉を連想させる高度な遊びなんですよ。それでは菅田君、言ってみてください」「ハイ、先生。ほったいも、いじるな」「みなさん、英語で感じてみてください。何と聞こえますか」全員がボソボソと「わかりませーん」そうすると先生が黒板に英文を書き始めました。「What time is it now?」「早口で言ってみて」と先生。ざわめく教室。そして大爆笑がわき起こりました。「おもしろーい!」とか、皆はお互いに言い合って「ツーオクロック!」とか「ノーノー、ファイブ ミニッツ ビフォア ツーオクロック」なんだか得意そうです。教室が一気に明るくなりました。
そして私にとって衝撃の2作目が黒板に書かれました。〝パパは牛乳屋〟生徒が口々に少し早口で読み始めるとザワザワとした教室にかん高い女の子の声が「あっ、分かったわ。パプアニューギニア、国の名前でーす」「オオー」どよめきの後は皆で連呼です。この時から私は英語が好きになりました。今ではこのふたつの音韻連想はあまりにも有名となってしまい、孫に自慢すると「知ってるよー」と〝超うざい〟っぽくされてしまいます。
先週、パプアニューギニアのピーター・オニール首相が来日されました。駐日大使館共催の歓迎昼食会が都内のホテルで開催されたのに私たち夫妻も招かれ出席させていただいたのですが、ロビーに立つホテルマンに「パパは牛乳屋の会場はどこですか?」とたずねると「その先の奥の右側にある○○の間でございます」と丁重に教えていただきました。「ヤッター」と拳を握ると家内は笑いをこらえるのに必死です。「さて、人も多いだろうから、挨拶をして少ししたら帰りましょうか」と会場に入るとテーブルの席に名前が…着席だったんだ。12時からの昼食会は延々と続きます。今日は1時30分に家内は美容院を予約していました。「ほったいも、いじるな」と私、「ツーサーティー」と手を広げる家内。笑ったバツはここにあります。
その場所にそぐわない古いビルのやけに急で狭い階段を上った2階に、カウンターが11席ほどのラーメン店があります。今日のオーダーは玉子ラーメンとチャーハン。ラーメンの食べ方は人それぞれですが、私は必ずスープからいただきます。「ああ、おいしい」「本当! ホッとするわね」。シンプルな盛りつけで供されるラーメンは両手で大事にもらい受ける。まるで殿様から拝領されるが如くに「ハッハー」てな感じで、心の中では「待ってましたよー」と盛りつけの具を確認する時が至福の時ですね。みじんにされた白ネギが散らばり、豚肩ロースのチャーシューと丸ごとの味つけ玉子、そしてシナチクがいつもと同じ〝顔〟でお目見えしました。スープを一口飲んで「これ、これだよー」。家内はウインクをしながら相づちを打ちます。
私達が大事にしているラーメン店3軒の内の1つ、荻窪の「漢珍亭」が閉店するのを知ったのは先月の事でした。いつもは同じ荻窪にある「丸福」の玉子入りワンタンラーメンと漢珍亭の玉子ラーメンを交互に食べ分けるのが、荻窪へ行く楽しみでした。丸福はこのコラムでも時折とりあげていますが、漢珍亭は秘密のお店として大切に口伝する事なく通っていました。「今日はチャーハンも1つ頼んで、2人で食べようね」とルンルンで玉子ラーメンを待つ間に店内をキョロキョロしていると、ナ・ン・ト、壁に〝4月末日で閉店します〟との小さな張り紙があるではありませんか!「どうしたんですか! 本当にやめちゃうの?」「もうお互い歳だからね、引退させてくださいよ」。その物言いがなんか淋しそうで切なく聞こえます。いつも狭い店内で笑顔をふりまいているおかみさん、いつも黙々と〝作品〟を創りあげているご主人。阿吽の呼吸の接客がまずうまい。ですからお客は皆、帰りがけに「ごちそうさまー」と、とびっきりの笑顔でドアを開けて急な階段を満足げに降りてゆき、その先には次の客が身体を横にして譲り合いながら交差して昇って行きます。そんな日常の光景までもがおいしいお店でした。
60年の間、本当に今までありがとう。どうかお元気でお過ごし下さい。
だましだましブリッジのかけ歯に使っていた上の奥歯が歯周病に侵されて、いよいよ抜歯することになりました。診療台に寝かされて口中に麻酔を打たれ、「痛いですか?響きますか?」と女医さんが金属棒で抜歯する歯を軽く叩いて優しく問いかけます。口を開いていますから「アー、ウー」と左手でOKサインを出す私。あのギシギシという嫌な音が不安を支配します。「深いわね。もう少し頑張ってね」。私の返事は「アー、ウー」と左手のOKサイン。2~3分頑張っていると「とれたわよ」と、およそ歯科医師らしからぬアラフォーの美人先生が微笑みながら脱脂綿に乗せた金歯を見せてくれました。「エッ、金歯だったんですか?」。普段歯を磨くときに、上の奥歯など見ることもなく「いつ金歯を入れたのかなー」なんて深く考えこんでしまいました。「まっ、いいか!」
帰り際に女医さんが受付まできてくれて「頑張ったご褒美よ」と、ナント、チョコレートをプレゼントされました。「チョコレートですか?」、よーく見ると〝歯医者さんが作ったチョコレート〟と書かれています。〝甘味料・キシリトール100%使用〟とも書かれていました。そして、血糖値を下げたり、糖尿病や妊婦の人が食べても問題がないという優れものらしいのです。ちなみにキシリトール入りガムは、虫歯菌の繁殖を防ぐ効果があるということで、今ではどこのスーパーやコンビニで買うことができますが、90%以上含有していないと効果は表れ難いとのことでした。キシリトールガムを噛んでいれば安心だ、と思っていたアナタ、残念!そして、キシリトールが甘味料だと今まで知らなかった私も、残念!。余談ですが金歯を返してもらった私は、〝金製品何でも買い上げます〟という金券ショップに持っていく勇気がありません。何せ歯付きですから、またしても残念!
キシリトールは加熱してもその効果と甘みは落ちないということなので、製パン技術に利用できたら画期的ですね。
パラパラと日程が書き記されている私の卓上カレンダーに描かれている3月のイラストは〝つくし〟。子供たちが草地にヒザをついて楽しそうに覗き込んでいます。窓の外に目をやると大きく枝を広げた桜の老木の小枝にプクプクとたくさんの蕾がふくらんでいます。「春は行きつ戻りつやってくる」私の大好きなことばですが、この原稿を書いている2月28日の東京地方は昨日とは違うあたたかさに心がほどける思いが感じられました。今年の桜開花予報は3月28日、満開は4月2日との予想らしいですが、祈る思いで桜日を待ちわびる商店街の催事担当者にはこれから気の抜けない日々が続くことでしょう。パン屋さんもケーキ屋さんも、この時期は腕の見せどころ。〝チェリーブロッサム○○〟とか〝桜〇〇〟と銘打った数々の商品がショーケースを彩れば商店街も活気が沸く事でしょう。
美しいものを味わう喜びはひとしおです。桜の葉で巻いた桜餅、とてもキレイですね。私は葉も一緒に丸ごといただきますが皆さんはどうでしょうか。桜蒸しパン、桜のベーグル、桜のロールケーキ、〝桜〟を題材にしたパンのコンテストがあったら楽しいですね。
靖国神社で銀座木村家の桜あんぱんを頬張りながら母と花見した思い出は春を体感すると思いだされます。父と一緒になる前の恋人が特攻隊員でここ靖国神社に祀られているので生前は毎年付き合わされていました。ですからまずは銀座で買い物をしてからお参りに来るのです。桜あんぱんのヘソに入ったかすかな塩味がアクセントとなって、中のあんことマッチしたこの老舗のあんぱんを、桜を愛でながら頬張るぜいたくは、今年は孫達と実行しましょうか。
古今和歌集で在原業平が詠んだ一句、「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」。桜が咲いてこその春ですから、さあ、おいしいものをたんと食べて今年も大いに楽しみましょう。