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コラム 三寒四温

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Sake Bar

家内は「人生の楽園」というTV番組が好きで、毎週土曜日の18時は愛犬を伴ってTV桟敷を陣取っています。

西田敏行さんと菊池桃子さんの絶妙な掛け合いのナレーションを聞きながら画面に見入っています。たいていが田舎暮らしに憧れるシニア夫婦が都会から閑村に移り住み、田畑にいそしんだりしながら一念発起して小さなベーカリーや手打ちそば店、カフェテリアなどの経営を始めるのです。

先日の放送ではシニアの移住者が、農業で第二の人生を賭け奮闘する姿を追っていましたが、

「チンゲン菜畑の真ん中で泣きました」

と、移住当時の有機栽培の苦労をご主人は振り返っていました。次に挑戦したのが、有機栽培での米づくりです。近隣の農業に携わる人たちの協力もあって、今ではおいしいコシヒカリが収穫できるようになりました。

かたや奥さんはというと、自宅の裏庭でミミズが住めるような肥えた土壌の畑を作り、おいしい野菜たちが実るようになりました。それでは、と満を持して“農家レストラン”をオープンしました。移住先の村は30世帯未満、コンビニもレストランもない、田んぼと畑ばかりの農村でですよ。

目玉はコシヒカリの塩むすび、おかずは裏庭で収穫したサツマイモやタマネギ、人参を使ったかきあげの天ぷら、野菜の煮物も評判です。

実は私も10 年ほど前から

「六十を過ぎたら田舎暮らしもいいな」

なんて甘く考えていたものですが、今では腰は痛めて屈むことすら辛い身です。たとえ趣味でも農業は無理でしょう。

ではレストランはどうでしょうか?

「それは良いかもね。でも閑村に住めるの? ひ・と・りで」

虫嫌いの家内はどうやら移住どころか遊びにも行きたくない素振りです。独りで行動を起こしても、畑のレストランで途方に暮れるのは間違いないでしょうね。

2人して話が合うのは誰しもが望み羨むハワイでの生活です。

「グリーンカードが取れて、生活できるだけの収入が確保できる商売、何かないかなー、予算は限られているし」

「それなら、こだわりの日本酒、例えば『獺祭』のスパークリングや『村裕』の大吟醸でしょ、それから黒龍の石田屋や十四代の愛山もいいわね。なにしろプレミアムな日本酒を少しずつ利き酒させて、それに合う肴をちょこっとお洒落に出す、ってのはどう?」

「それ、さぬきやさんのパクリだね。しかも好みのお酒ばかりで」

「カウンターだけの小さなお店、そう店名は“THE SAKE BAR”にしましょうね」


 夢の話題は“タダ”ですから、尽きることはありません。


その先のおいしさ

母が作ってくれたキンピラゴボウは
本物の味だと思います。



なにが本物なの? って聞かれると困りますが、
“旨い”から本物なんです。

キンピラの主役はレンコンの極太切り。6~7㎜ ほどの厚さに立て割りにして、ゴボウと人参も同じ太さで切り分けて炒めます。調理鍋は黒い取っ手でお馴染みの『ニギリ矢』の金色の鍋を使用します。なにしろ軽くて振りやすいんです。年季もので今では多少デコボコして色落ちしていますが、ずっと使い続けている母の形見です。

調味料は醤油と酒。ごま油がひかれた鍋に全部の野菜を入れて振って調理します。味を決めるのはたっぷりの赤唐辛子と昆布。時おり勢い余って人参なんかがガスコンロの横に落ちるのですが、母はそれを拾って生でもポリポリと食べていました。

あれから30年、キッチンでは母直伝の鍋振りを家内が受け継いでいます。

 「ハイ、キンピラ一丁あがり!
  じゃあ、ちょっとリュリュ(愛犬のボーダーコリー・9歳)の散歩に行って
  くるから、たまにお鍋、振っておいてね」

 「ハーイ」

出来上がってから、さらに味をまんべんなくなじませるための裏技? です。慣れない鍋振りでレンコンが1本飛び出しました。指でつまんで前歯でかじり、ゆっくり引っ張ると糸が伸びるんです。それを楽しんだらサクサクサクと一気に食べる。「味の染み込みがまだ足りないかな?」。我が家のキンピラは翌日がおいしい。次の日はさらに旨味が増すのです。

中学生だった頃のある日の夕方、帰宅すると台所のテーブルに裸のアルマイト製の弁当箱が、その上に箸入れを重しに「これ食べてね」と手紙が添えられていました。育ちざかりの私は手洗いももどかしく、蓋を開けて、驚きました。ご飯の上には一面にびっしりとキンピラが敷き詰められていたのです。まずは少しキンピラとご飯を一口。これが旨いのなんの! たまりません。次に半分ほどのキンピラを蓋に取り分けると、キンピラの汁がご飯に染み込んで、いい感じ! これだけでも十分おいしいですよ。今でもキンピラを作った日は、朝から炊きたてのご飯にたっぷりとキンピラを一面に盛って弁当箱に詰め、昼に食べるの見て家内は

「あんたも好きねえ」

と、どこかで聞いたようなセリフを一言。

そこで一句
        朝つめて 昼に食べ頃 母の味

イングリッシュマフィンに、こぼれるほどのキンピラをはさんでかぶりつけば、“ムニュ、サクッ、ポリポリ”と至福の音が聞こえます。この相性が素晴らしい。パンで食せば、ご飯よりも“その先のおいしさ”へ導いてくれる、懐かしい母の味は我が家の一家相伝の味でございます。

また来てください

京王線下高井戸駅前通りから一本入った小さな四つ角に私の好きな居酒屋があります。


桜が開花するあたりから店外のコーナーには小さなカウンターが組まれ、開け放たれたガラス戸の前では炭火で焼き鳥や焼トンの串を忙しく回しながら焼き具合を確かめる店長が、煙を避けながらリズミカルに焼き場前の厨房を仕切っています。

「カウンター7番さん、ガツポン、赤ウインナーと
 “中”(なか)頂きましたー」


いなせな紺色の前掛けをしたアルバイトの女子大生が、客の追加オーダーを大声で読み上げます。すると従業員が一斉に

「ありがとうございまーす」

と大合唱で返します。

いやぁ威勢がいいのは目にも耳にも、そして舌にもいいものです。
厨房をコの字に囲むカウンターがあり、そこを陣取る客のしぐさが手に取るように観察できる店外のカウンターは、一番の絶景ポイントです。

手際よく調理する店員は、揚げ物、炒め物と“中”、これはホッピーで割る焼酎で、氷とおかわりの“中”焼酎をジョッキに入れて接客の店員に渡します。

「ハイ、中と赤ウインナー、ガツポン、
 カウンター7番さん、おまたせしましたー」


すると一斉に

「お待たせしましたー」

私も生ビールをおかわりで、空ジョッキを焼き場から振り返った店長にグイッとみせると

「外一番様、生おかわり頂きましたー」
「ありがとうございまーす!」


寸分の狂いなくハーモニーが店内に響き渡ります。

「シロ2本タレで。(これは豚の腸ですね)
 豚レバーもタレで2本、ネギ間と銀杏、手羽は塩で一つずつお願いね」


同じく私のオーダーが店内に響き渡ります。

今日は土曜日の夕方6時、まだ明るい空を見やると曇り空の下に黒い雲が流されています。

「こりゃひと雨来るな」という訳で、お勘定を済ませて歩き出すなり案の定ポタポタと降ってきました。慌てて20mほど先の行きつけのイタメシ屋さんに雨宿りで入った瞬間、バケツをひっくり返すほどの大雨になりました。

バローロの赤ワインを1本頼み、まだ客のいない店内でマスターと外を眺めつつワインとチーズで30分ほど料理談義。話が咲き始めたあたりでぱたりと雨が止み、閉じた傘を振って雨を落とす家族連れ5名様のご来店で、お勘定です。

残ったワインはコルクをしてテイクアウト。さらにマスターが

「これ、サービスのホワイトアスパラの酢漬けです。食べてください」

と優しく微笑まれ、最後は

「また来てください」

と、心ニクイ殺し文句。
大柄な体格に似つかない猫なで声のような優しい声と笑顔のセリフは、どんな人の心をもわしづかみにして感動させてくれることでしょう。



「ハイ、また来ます。ありがとう」

独自のカラー

毎日通る飯倉交差点では、機動隊がその先にあるロシア大使館を警護するために不審車両を厳重にチェックする臨時ゲートを設置しているのが日常の風景です。

有事の際には道路を遮断するための鉄柵も設置されており、その引き手を担当する警官の口元から白いホイッスルが離れることはありません。そんな見慣れた風景に変化が起きたのは3月末のこと。何やら賑やかに人がたまり始めて、行列ができていました。

「パン屋さんが開店したそうよ」
と家内が教えてくれました。

信号待ちでよく見てみると、テラスにテーブルと日傘がセットされたお洒落な雰囲気の脇でお客さんが警備員に誘導されて整然と並んでいます。

「いつまで続くかな、この行列」
「フランスのパン屋さんらしいわ。雰囲気も良いし、なんだか美味しそうね」
「行列が少なくなったら一度、買いに行こうね」

それから2ヵ月が経ちました。
行列は日ごとに短くなり、警備員の姿も見えませんが、交差点の厳重な警備は相変わらずです。どうやら“日常”に戻ったらしく、先週の日曜日の午後、遠目にその店を見ると表には1人も並んでいません。

「よし、ちょっと待ってて。買ってくるから」と、
私は店の手前に車を停めてパン屋さんを目指します。

トレーとトングを手に店内を見ると、奥にレジが3台あり、3人のお客が順番待ちしていました。ではではパンの品定めといきますか。

「おやー、なんだこのパンは…えっ! ここ何処なの?」

ちょっと何処かで見た(感じた)この雰囲気。
あれ? もしや?と、店名をチェックすると“メゾン”の文字が。

いえいえ、「メゾンカイザー」ではないけれど、ほとんどどのパンがメゾンカイザーのパンとそっくりではありませんか。私はバゲットやクロワッサンをトレーにのせながら唖然と棚を見渡します。ほどなくして焼き立てのパンを並べる店員さんと目が合いました。

私は失礼ながら思わず、
「メゾンカイザーとそっくりだね」と一言。

対して店員さんは一呼吸おいて
「いえ、違いますよ」

そりゃ同じ訳はないですよね。




「次の方、どうぞ」

会計を済ませてレシートを見ると、なかなかのお値段です。車に戻ると家内が
「どうだった?」
「なんちゃってカイザーかな」
「エッ、ウソー!?」

フランスのパン屋さんですから、似たような商品構成になるのでしょう。ともあれ味はおいしかったですよ。行列の次はレジ台が少なくなる…なんて事にならないよう、独自のカラーを出して頑張ってください。

サブイボ

コンビニのレジで釣銭を客に渡す時、右手でつまんだ硬貨を左手で支える仕草はナンダ!?
マニュアル通りの接客?

「勘弁してよ、キモいよ…」
と、中学生の孫娘が言っていました。

ならば私も体験してみましょう。
黒ウーロン茶を1本取り、200円を手にレジに向かうと、いかにも学生アルバイト風の黒縁メガネをかけた店員が小首をかしげ、笑顔満開で

「2円のおつりでございます」
と左手を添えて差し出しました。

ナ、なんなんだ。
私の二の腕にサーッと走るサブイボ(鳥肌)は。
しかも一本だけ異様に伸びている左の腕毛が逆立っているではありませんか。切りたくても切れないでいた愛しい私の一部はこのような働きのために存在していたのですね。

 ホワイ、ジャパニーズコンビニ店員!
 お釣りだよね?
 添えた左手は失策しそうな右手を補っているんだよね?
 でなかったらレジには暖房が不可欠だよねー!



マニュアル通りの接客は時に失笑を買うが、ファンを作る。
だからアレンジは許されない…といった所でしょうか。
(ふーん)

コンビニを出ると、街路樹の青葉を抜けた夏日の太陽が体を優しく包んでくれます。いつの間にか“サブイボ”も消え、一本だけ長く伸びた愛しい腕毛が爽やかな初夏の緑風に揺れています。

「そうだ、ホットドッグにしよう!」

突然に訳もなく食べたいランチメニューが思いつくのはなぜなんだろう?

「新タマネギよーし、ケチャップ、マスタードよーし。
 ピクルス…? よーし」


家に常備してある食材を頭の中で指差し確認するのがいつもの私の癖なのです。

「ジョンソンヴィルソーセージ1パック6本入り、よーし」

あとはドッグパンだけ買えばいいな、と踵を返して再びコンビニへ。するとさっきのアルバイト店員と目が合ってしまいました。

「サブイボ、出るなよ!」

一人よがり

小学校の広い校庭の隅にひときわ大きな木が一本。
その下で顔を黒く塗りつぶした小さな女の子が独り、
校庭の真ん中でボール遊びをしている生徒達を眺めている


・・・そんな風景を描いたわが娘の作品は、ハワイ・カイルア市主催の絵画コンクールで金賞を取りました。うれしいやら悲しいやら、その絵を見せられて私は小さな娘を抱きしめて涙しました。
ゴ・メ・ン・ネ。

前回、書き切れなかったエピソードを冒頭にどうしても入れたかった理由、あれはGW最終日の5月6日の午後、家の近所を愛犬と散歩している時のことでした。

珍しく遠近両用メガネをかけての散歩で歩くのにちょっと難がありましたが、玉川上水道公園や道端に咲く小さな草花がとにかくよく見えて、まさにミクロの世界を見るかのような感動がありました。愛犬にしても昨年の末に両眼白内障の手術を受け、全盲から回復しての散歩は“見えすぎちゃって困るの~♪ ”なんて古いCMのように楽しいでしょう。


「オヤ、ずいぶん小さいてんとう虫だな」

普段だと気もつかない若葉の上でそれはじっとしていました。私は思わず優しく手に取り、「エイヤッ」とばかりに空にほうり上げました。「さあ飛べ!」と思った瞬間、「コトッ」と小さな音を立てました。聞こえた方向へ振り向きコンクリートの地面を見ると、てんとう虫が落ちているではないですか。良かった、何事もなく動いています。今度はさらに優しくティッシュに載せて、若葉の上に返してあげました。

「てっきり飛んでいくと思ったのに何やってんだよ、危ないなあ」
と、一人よがりな人間のおせっかい。誠に迷惑な事であります。

娘に対しても、やはり私は一人よがりの生活を強いて生きてきたのです。
その罰は一人娘が嫁に出て、菅田家が私で終わりになってしまった事かもしれませんね。

20年前、バツイチ同士で再婚した家内とは3人の子供が、そして孫は9人もいます。私の孫を入れると11人、日本の少子化阻止の快進撃はそろそろ打ち止めかもしれませんが、わが家に集まると騒々しいほどに賑やかで目を細めているどころではありません。もっぱらキッチンに入って孫メシを作るのに精を出しています。
 
45歳で会社を継いで今年で23年目、お蔭さまで欲も出まして2年後に控える70周年を今から計画しています。今までにたくさんの方に出逢い、そして教えられ、時には旅行にゴルフに食事にと、たくさんの友人を作れたことは感謝であります。

弊社社長 菅田耕司のコラム


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