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コラム 三寒四温

弊社の週刊紙「速報・製パン情報」から、好評の三寒四温をご紹介。
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原点回帰

未曾有のコロナ禍においての出店ラッシュ。倉田博和オーナーシェフが経営する「デイジイ」の攻める経営戦略が奏功し、非日常の新たな生活様式を強いられる消費者がささやかな贅沢を楽しみたいと、この店に集まってきます。

3年前の東京駅構内にJR東日本とタイアップして進出して以来、JR大宮駅出店へと続きました。都内2店目の麹町店は2階にイートインフロアを贅沢に展開、ランチ時の集客力は抜群。閉店までレジの列が絶える事はありません。

そして先週の10月15日、満を持してオープンした西新宿店は都庁やヒルトンホテル等オフィスビルが林立する成子天神下交差点に建つDタワーの路面店舗。全面総ガラス張りオープンキッチンのカフェベーカリーです。店長を務めるのは倉田シェフの長女、ひかりさんです。

小雨降るオープン初日、特に宣伝もない中でたくさんの客が訪れ、焼きたてのパンをトレイに次々と載せレジ待ちしています。海外からの客も目立ちます。この店舗にもイートインスペースがあり、コロナ禍の現在はパンとドリンクのみの提供ですが満席でした。店内は活気にあふれ、お客の質問にテキパキと対応する様はさすがデイジイと感服しました。

私も家内もデイジイのパンが好きで、以前は本店のある川口まで高速道路を飛ばして家族や友人の分をまとめ買いして店内でイートイン。

「ここのパンはたくさん食べられちゃう」と家内。

私も胃を全て摘出しているのに結構いけちゃいます。時おり各国の駐日大使館にもお土産で持参しますが、一番喜ばれるのは「クロワッサンB.C.」。言わずとしれた一押し商品です。

家内曰く、
「デイジイのパンはほど良い甘さがおいしさの秘訣ね」

なるほど、子供の頃に食べたノスタルジックな記憶を呼び起こす甘味が差別化ポイントかと今更ながら納得しました。飽きないんですね。焼きそばパン、ジャムパンにクリームパン。揚げドーナツパンのあんもカレーパンのフィリングも生地とのマッチングを極めた製法がここにありました。

日本をはじめアジア諸国で引く手あまたの倉田シェフのセミナー参加者は、ぜひデイジイ各店舗をじっくり観察してください。技術だけでない「客の集まる店」の本質が理解できるはずです。

一言で表すなら「原点回帰」。
この精神が客の心を掴み、リピートするのです。SNS映え狙いの新製品はすぐに飽きられます。高級食パン専門店も然り。

リョーユーパンの「マンハッタン」をはじめとしたロングセラー商品が九州人の胃袋を鷲掴みするように、たゆまぬ革新と原点を象徴するようなロングセラー商品の存在が、全ての食に関わる商売繁盛に不可欠です。


レジェンド

秋が “ストン” とやって来ました。
先週末に衣替えでクローゼットを整理していると、奥から布に包まれた大きなリトグラフの額を発見。実は2年前に新宿のタワーマンションへ引っ越して以来、コンパクトな間取りゆえピクチャーレールもなく、限られた絵しか架けられないのです。収集してきた絵画のほとんどがクローゼットの肥やしとなっていました。黄色い布にくるまれた額を出してみると、ボストン郊外の冬景色のオフィス街を行き交う人々の息遣いが聞こえてくるようです。

この作品はオリエンタル酵母工業の故・内藤利邦社長から贈られたものです。私が15年程前に大型犬と暮らせる上井草のマンションへ引っ越した際、ワインとこのリトグラフをお祝いにとご持参いただきました。内藤さんはボストンの街並をこよなく愛され、たびたび訪れていました。

「菅田さん、いい絵でしょ? 引越し祝いです」
「ハイ、ありがとうございます」

そして土産の赤ワインをデカンタして、私の手料理を肴にグラスを傾けつつボストンの話題やワインの薀蓄など語り合ったひとときが、ついこの間の事のように思い出されます。あの晩のワインがとびきり美味しく感じられたのは、フランスの芸術文化勲章(シュバリエ)を授章されるほど造詣深い内藤さんと交わした会話が素晴らしかったからでしょう。彼のお人柄は、今でも数多くのご友人達の心に残っているはずです。

秋はどこか寂しげで人を感傷的にしますね。私の好きな紫紺のリンドウが花屋の店先を飾っています。花言葉は “誠実・正義”。 このリトグラフを壁に飾ってしみじみ眺めていると、「パンの窓を通して考える」という、内藤さんが考案した、オリエンタルの基本理念を示す言葉が頭に浮かびました。まさに命を削って製パン業界ファーストを貫いた、レジェンドだったんだなー、と。

そして本コラム校了日に、先達として社長・会長を歴任され内藤さんを育てた、竹澤勝三郎さんの訃報が飛び込んできました。私にとっても竹澤さんは父のような存在であり、まさにお二人ともリンドウのような人生でした。

コロナ禍による新生活様式の中で、自分の心の中に「窓」をつくり、じっくりと見つめて想像すれば良きアイデアが浮かぶやもしれません。「狭き門から入りなさい」というイエス・キリストの教えにも相通ずるフレーズに心打たれます。晩秋の寒さに相反して、心が熱くなる今日この頃です。


えぞ菊

胃がんによる全摘出手術から4年半。その間に食道がんも見つかり、内視鏡手術は成功したものの、胃のない生活はコロナ禍と同様に非日常の生活様式を強いられます。それは消化能力の低下による消化液の調整です。胃液で消化していた食物を腸だけで消化するのは困難で、特に緑黄色野菜はいけません。ニラ、ホウレン草などがNGです。健康な人でも消化しない事が多いコーンなどは当然パス。

そして医者いわく、一番いけない食べ物が「ラーメン」なのです! よりによって私の大好物です。いやいや、しっかり咀嚼すれば問題ないだろうという素人判断で、退院後にお気に入りのラーメン店、荻窪の「丸福」へ出かけ術後初のワンタン麺に挑戦。久しぶりの感動も相まって、あまりのおいしさに噛むどころかスープまでいつものようにあっという間にスルスルと平らげてしまいました。案の定、店を出て帰路の車中で七転八倒。家内には世話をかけてしまいました。これに懲りて丸福は半年に一度程度に我慢、麺は半分でオーダー。麺が伸びるのも覚悟でゆっくりゆっくり、噛みしめるように楽しんでいます。

先週の土曜日、家内とリハビリを兼ねて自宅から高田馬場近辺を散策。両手に補助ストックを握りしめて歩く道中で見つけてしまいました。かつて私がもっとも愛したラーメン店「えぞ菊」です。ひと昔前は札幌ラーメンの王道として都内でも多く営業していたのですが、いつの間にか看板を見かけなくなっていました。あえて探す事もなく年月が過ぎ、令和の時代に自宅近くで遭遇するとは!(今はなき本店の近くにあったこの店の存在に、今まで気づかなかっただけということもありますが…)

「えぞ菊」の思い出は、私が30代後半にハワイへ長期滞在していた頃に遡ります。アラモアナショッピングセンターの近くにホリディーマートというスーパー(今ではドン・キホーテに変わりました)がありましたが、その入口に「えぞ菊」はありました。当時の人気TVドラマ「ホテル」では、高嶋政伸さんが演じる主人公の友人が経営するラーメン店という設定でよく映し出されていました。

私は週1回のペースで通う常連組。店頭の通路に置かれたテーブルで札幌味噌ラーメン、コーンバター入りをすすっていました。

「姉さん、お元気ですか。僕はハワイで頑張っています」
という高嶋さんの決め台詞とともに映し出される当時のカハラ・ヒルトンホテルでは、ハワイ随一のエンターテイナー、ダニー・カレイキニ氏のショーが毎晩開かれ、料理も部屋もすべてが上質でした。私はダニーと友人になり、一杯のビールをめぐってボーリングに興じていたものです。

話は再び「えぞ菊」。今でも人気は高く行列が絶えないようですが、私たちが訪れたのは3時過ぎで空いており、すぐに座れました。オーダーはもちろん味噌ラーメン、バターとコーン(駄目と言われていますが)のトッピングで麺は半分。まずはバターを溶かしてスープを一口。
「う、旨い!ああ、この味だ!」
麺はかん水の黄色が鮮やかな太麺モチモチ、噛めば噛むほどに昔のハワイを思い出します。家内も「おいしいわ!」の一言だけで黙々とすすり続けて完食。私もスープこそ残しましたが、久々においしい一日が過ごせました。札幌ラーメンの原点を守り続けるこの店に、コロナ禍でも人は集まります。


チキンライス

前号からの続きです)

海外旅行でのご当地グルメ満喫の思い出を引き続き書こうと思っていた矢先、
「Go Toトラベルの東京発着が10月1日より解禁か」
「新型コロナウイルスのワクチン治験がいよいよ最終段階」
という2つのニュース。来春あたり海外へ行けるのではという期待がふくらみます。

さて、舞台は再び30年あまり前。シンガポールから寝台列車でクアラルンプールへ、さらに乗り継ぎでもう1泊。寝台列車はマレーシアのジャングルを走りに走り、ペナンの対岸に位置する玄関駅バターワースへ到着です。早速リュックを背負い直して下船し、タクシーに乗り込み橋を通ってペナンに渡ります。ドライバーにブランチにおすすめの店を訊くと「一緒に行こう」と常連の食堂へ案内してくれることに。

連れて行かれたのは海岸近くの古びた4階建てのカレーレストラン。1階は満席、2階、3階も満席でとうとう屋上へと階段を登るとそこは洗い場。傍らにはチープなプラスチック製のテーブルと丸椅子が置かれています。明らかに従業員の休憩スペースですが、さすがは常連客のドライバー氏、遠慮なしに座るやいなや、洗い物をしているおばさんにカレーを注文してくれました。

待つ事15分、テーブルには3つの丸皿を並べて載せた巨大なナンが登場。その長さ1メートル近くの大きさに圧倒されました。カレーはバターチキンとキーマ風をシェア。手でナンをちぎりカレーを包み込むように右手だけでいただきます。これが旨いのナンの! 我が人生史上ベストワン・カレーの味に感動を覚えたものでした。

それから30 年近くを経て家内とペナンへ立ち寄った際、その店を探すも見つけられず残念でしたが、巨大ナンは、どの店でも供されていました。ペナンはインド系移民が多く住んでいて、インドの食文化が定着しているようでカレー以外のインド料理も屋台でおいしくいただけます。

夕刻、バターワースに戻り、さらに寝台列車でタイのバンコクへ1泊の列車旅。夕食は食堂車からボーイが各寝台のテーブル席まで注文を取りに来ます。飲み物はシンハービールメコンウイスキーのミニボトルをオーダー。月明かりに照らし出される田園風景を眺めつつチビリチビリとディナーを楽しむのです。バナナの皮に包まれたチキンライスは日本のケチャップ味ではなく、ジャスミンライスの上に茹で鶏のスライスがのせられてナンプラー風味のチリソースが添えてあります。タイ庶民に愛される定番弁当らしいのですが、これまたおいしい! 列車の揺れも相まってウイスキーが効いてきたようです。車掌を呼んでベッドメイクしてもらい就寝。バンコクの中央駅ホアランポーンへ向けて、列車は夜通しひた走ります。

翌日のお楽しみはバックパッカーの聖地、バンコクのカオサン通りに並ぶ屋台料理。タイ料理は日本人の口に合いますね。

弊社社長 菅田耕司のコラム


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