いきものがかり
幼少期から成人してしばらく、東京中野区に住んでいました。私が5歳の頃、昭和27年に父が購入した木造2階建の中古住宅です。50坪弱の敷地は半分が庭で素人づくりながらも築山があり、小さな池ではメダカや金魚を飼っていました。
種類を問わず生き物好きだった私は、その他にも「チロ」と名付けた雑種犬や猫2匹、縁日で買ってもらったヒヨコ(ピーちゃん)やインコにジュウシマツ等々、一人っ子の寂しさを紛らすように色々と飼っていました。
小学校に上がってからは、帰宅するとランドセルを放り出しつつ鳥たちに「ただいま」とあいさつし、残して持ち帰った給食の食パンを縁台からチロに与えます。尻尾をちぎれんばかりに振って喜ぶチロの散歩へ。鳥のエサ用にと道端に咲くハコベを摘んで帰るのが日課で、楽しい毎日でした。
庭の隅にはイチジクと柿の木(渋柿と甘柿が一年ごと交互に生る不思議!)があり、野生のミョウガも採れましたね。その脇には100m超えの深い井戸がありました。ギッコンバッタンと汲み上げて池の水を足したり、ペット達にも井戸水を飲ませていました。夏でも冷たいのでスイカがよく冷えました。
小学1年生のある日曜日の午後、“事件” は起こりました。父が縁台に座布団を敷いて昼寝をしていた時、寝返りのはずみでトサカが色づくまで成長していたピーちゃんを潰してしまったのです。父はゴメンゴメンと何度も謝ってから、庭にお墓を作りました。私は傍らで終始泣いていた記憶があります。72歳で天に召された父は大正10年生まれ、存命なら101歳を数えます。
チロには後日談があります。ある日、縁台の下でわずかに顔を出している白いものを見つけ、何だろうとスコップで掘り返してみると……なんと数枚の食パンが現れたのです。食べるのがもったいなかったのか、それともパンをあげていた私を気遣っていたのでしょうか?
時を経て父の興した弊社に就き、上司の話や過去の記事から昭和二十年代後半当時、厳しい物資不足の中でやりくりしていた学校給食事情を知りました(弊紙「日本パン・菓子新聞」巻末付録にて当時の製パン事情をご覧ください)。
それから半世紀あまり、パンは日々進化を続け世界トップクラスの品質で食卓を支え彩っています。今ならチロも “おかわり” をおねだりすることでしょう。
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