そうだ、ダル湖へ行こう!
パテック・フィリップ社から送られてきた会員誌をパラパラとめくっていると、懐かしい風景のカラー写真に思わず目が止まり、テクストを読む。
「夢が浮遊する伝説の地」というタイトルにリードが続く。
平和と官能的な美を併せ持つカシミールは、20世紀にいくつもの国が領有権を求めて争う状況に陥っていた。現在、この地上の楽園には平穏が戻りつつあり、冒険心溢れる旅行者たちは、カシミールの夏季の州都であるスリナガルの湖畔に佇む、非常にロマンティックなハウスボートを再び訪れることができるようになった。
40年ほど前、バックパッカーだった私はスリナガルのダル湖に建つハウスボートホテルに1週間ほど滞在した。鏡のような湖面にせり出すハウスボートのデッキでぼんやりしていると、シカラと呼ばれる小さなゴンドラが近づいてくる。オールを操って陽に灼けた老人が音もなくスーッとボートハウスのヘリにある階段下にシカラをつけると、私に手招きをした。老人は小さな皿に細くて赤いものを数本のせて、湖の水をすくい、混ぜてみせる。言葉は通じない。
その瞬間、小皿の水が見事なオレンジ色に変わった。
「サフランだ!」
買って下さい、と身振り手振りで私に促す。「いい記念になりそうだ」と財布を見ると、日本円の千円札しかない。1枚を老人に手渡すと、首を傾げながらも握り拳ほどのサフランが詰まったビニール袋をくれた。翌日、湖を眺めていると、また違うシカラがやって来た。今度は老婆が手招く。そこで買ったのが、見事なまでにカラフルな刺繍が施されたベッドカバー(?)。いくら支払ったかは覚えていないが、今でも我が家にあり、時折ベッドカバーとして使用している。
ビートルズのジョージ・ハリスンは、このダル湖のボートハウスに6週間滞在してシタールの演奏を学んだという。その後、4人揃ってヒゲをボウボウとたくわえた彼らの楽曲が微妙に変化していった事に気付いたのは僕だけではないだろう。
日本を代表する作家、三島由紀夫氏の絶筆となった「豊饒の海」最終巻を書き上げたのもやはりダル湖滞在期間中と後に知る事となり、驚かされた。最後の原稿を出版社に送った直後に自衛隊市ヶ谷駐屯地での演説・割腹自殺へと帰結したのは、神秘性溢れるこの地で、彼なりに“何か”を悟ってしまったからなのかもしれない。
平穏と静寂に包まれた夕暮れのダル湖に、イスラム教のサラート(礼拝)の時を知らせるムアンシンの声が湖上を走る。徐々に思い出す懐かしい風景は、どれも素晴らしい光景だった。
「そうだ、ダル湖へ行こう!」
2019年のコラムはここで書く事にしよう。
インドには、行こうと思っただけの人は行けないのです。
呼ばれた人しか行けないのです。
40年前に日本で知り合ったインド系シンガポール人の言葉だ。
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